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『今昔物語』 都並清史さん(Tp)

■立教大学 ニュー・スウィンギン・ハード
1978年 第9回大会出場(敢闘賞受賞)
1979年 第10回大会出場
1980年 第11回大会出場(最優秀賞/優秀ソリスト賞受賞)
※2004年、第35回大会に寄稿された文章を当時のまま掲載しています。

YAMANO BIG BAND JAZZ CONTEST35周年記念大会、おめでとうございます!
僕も2年ほど前に、久しぶりに新宿文化センターに伺いました。僕たちのころとは比較にならないほど参加校が多く、その演奏は音楽的に優れ、そして視覚的にも楽しいもので、お世辞抜きにビックリかつ感動しました。当然、わが母校である立教大学ニュー・スウィンギン・ハードの演奏をチェックしに足を運んだのですが、客席最前列下手に陣取った後輩諸君とおぼしき若人にまじって、僕も大きな声援を送りました。いや、そういう場合「実は僕…」と名乗り出られないのがOBというもんです。
さて、僕の現役時代。なにしてたのかなぁ…。皆とにかくジャズが好きでビッグ・バンドが好きで、なんというか、貪るように音楽を聴いてました。
コピーしたランディ・ブレッカーのスケール・アウト・フレイズを分析しあったり、78年の中野サンプラザ楽屋口で憧れのカウント・ベイシーとの写真に紛れ込んだり。合宿ではセク練、合奏だけでなく、おきまりの論争やたわいない悪戯に励みました。そして姉妹校学園祭へのツアー。同志社大学ザ・サード・ハード・オーケストラの皆さんとは本当に仲良くさせていただきました。年末には、通称「ダンパ街道」をひた走り、都内のホテルで部費稼ぎのダンス・パーティの伴奏。まったく教室にはいついたのか。おかげで車の運転は巧くなり、そのころ憶えた抜け道はいまだに役に立っています。
学生時代に親交を持った友人たちで、プロ・ミュージシャンになった人もいますし、僕と同じようにジャズのライターとなった人もいます。レコード会社のディレクター、ジャズ・クラブのオーナーやスタッフ、ジャズ雑誌の編集者。毎日、多くの方々と出会い、ジャズを仲介とした新たな関係を持ちます。コンサート、ライブにも頻繁に出かけますので、その度に顔見知りに出会うのですが、その感覚は夕方ノソリと練習場に顔を出すあの感じにちょっと似ています。
そして、これはとても不思議なのですが、僕が立教大学ニュー・スウィンギン・ハードに所属して毎日ジャズと格闘していた時から、もう20年以上も時間が経過しているにもかかわらず、ある音楽に出会った時の感覚、というかスケール、判断基準はいまだに、あの学生時代に教えられ、考え学んだことがベースになっているようなのです。
現役の皆さん。音楽は偉大です。そして、一人ではなく、人間が人間とグルーヴを合わせてプレイするビッグ・バンド・ジャズは、信じられないくらい気高くあたたかい音楽であると、こんな時代だからこそ、今あらためて感じます。コンテストが終わり大学を卒業されても、どうか楽器を手放さずに。僕もいまだにアマチュア・ビッグ・バンドに所属。40過ぎて合宿という幸福を味わっています。それでは、すばらしい演奏を楽しみにしています!

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